青少年対策委員会でPTAの仕事を断る方法

PTA役員になるまで、なんでPTAの仕事を断れないのか不思議だった。

PTAをさぼらせないシステムができていた。

私が、PTAをさぼったら、他の人たちに迷惑になるし、情報がもらえなくなる。

情報をもらえないと、何をしたらいいのか、まったく分からないし、不安になる。

去年の役員さんの言う通りに動くしかない。

失敗したくないから、言うことを聞くしかなかった。

仕事の引き継ぎは、想像以上に時間がかかった。

引っ越してきたばかりなので、隣の学校の名前も、近所の市民センターの名前も知らなかった。

その名前を知らなかっただけで、ものすごく侮辱された。

そんなことで馬鹿にされたことに、逆に驚いた。

教えてもらわないと、仕事ができないので、どんなにむかついても、むかついたとバレないように、おとなしく言うことを聞いた。

PTAでは、PTAのことをよく知っている人が偉い人で、知り合いが多いほど偉いらしい。

「友達が大勢いるの」「私たちの方が上なの」とマウンティングされた。

喧嘩をする時間がもったいないので、ひたすら我慢をした。

 

PTA会長の選考委員の仕事を断った人がいた。

仕事を断ったら、いじめのターゲットにされるらしい。

PTA三役の定例会で、

「〇〇さんが選考委員を断った。そんなの許されない。」

「みんなで〇〇さんに圧力をかけましょう」と言われた。

 

アンケート用紙に、PTA会長の推薦欄に名前が書かれたら、

6人の選考委員と副校長先生が家までやってきて、推薦された人は7人に囲まれる。

仕事熱心な副校長先生だと思うけど、7人に囲まれるのは、怖い。

「あんた、やっちゃいなさいよ」と、副校長先生に怒鳴られても、PTA会長に推薦される人たちは、しっかりと、会長になるのを断っていた。強い。

推薦された人をリンチしてる気分になるので、私も選考委員だけはやりたくないと思った。

 

PTA役員になるまで、具体的に何があったのか、知らなかった。

引っ越してきて、すぐ、なんとなく、この学校は、やばいという空気を感じた。

この学校では、母親同士、友達を作ってはいけないという気分にさせられた。

目をつけられるのが面倒だから、学校行事には最小限にしか行けないし、できるだけ目立たないようにしていた。

しかし、実際に、PTA役員になるまで、本当のPTAの大変さが分からなかった。

 

PTAの仕事は、いきなり振られるので、断るのは難しい。PTAの仕事を断る場合は、PTA役員の誰にも知られずに、こっそりと断らなくてはいけない。ばれたら、面倒なことになる。

 

青少年対策委員会の掃除を断る事は成功した。

いきなり、「〇〇小学校さんは、0月0日、掃除に6人出してください」などと言われた。

「その日は、確か、会議があったと思います」などと言って、逃げた。

あえて、青少年対策委員会から掃除を頼まれたなどと、他のPTA役員には報告しなかった。

私には6人も集める自信がなかった。

それも、今まで1度も行ったことがない場所で、これからも絶対に行かない場所を掃除させられるところだった。

「なんで私たちが、そんなところを掃除しなくてはいけないの?」と、絶対に怒られる。

真面目な人たちは、無理をしてでも、苦労して6人も集める。私だったら、2〜3人でギブアップする。

PTA役員に仕事をさせる場合、2〜3倍の人手を要求される。

半分以上の人たちは、何もすることがないので、途方に暮れて、ボ〜ッと過ごすしかないのに。

たぶん、このことも、報告書を書いて、校長先生に提出したと思う。

あまりにも、たくさん書いたので、細かいことを覚えていない。

しばらくして、近くの中学校ではなく、ちょっと離れた中学校の中学生が掃除することになったらしい。

 

PTAの仕事を断るのに、失敗したこともあった。

青少年対策委員会の公報の仕事を断ったことを、うちの学校のPTA役員にしゃべったら、ものすごく怒られた。

 

青少年対策委員会の会議で、「今年の公報の担当は〇〇小学校さんです。」と言われた。「えっ」としか言えなかった。

また、いきなり言われたので、肯定とも否定とも取れない言葉でしか答えられなかった。

各小学校の校長先生の文章を編集して、4ページの小冊子を作る仕事の担当になったけれど、今年のPTA三役は、ほとんどの人が1年目で、引き継ぎに苦労していた。書記さんの仕事をこれ以上増やしたくなかった。

去年のPTA三役は、2年目の人がたくさんいたので、その時にやってくれればいいのにと思った。


市役所に行って、青少年対策委員会担当の係長と会話をしてみたら、「青少年対策委員会の会長と相談してください」と言われた。

お金を払って丸投げをしているだけなので、よく分からないらしい。公務員の言葉は、ものすごく重いので、なかなか本当のことを教えてもらえなかった。


次の青少年対策委員会の会議で、

「青少年対策委員会担当の係長って、説明が上手じゃないけれど、指導課の係長って、頭が良くて、親切。」などと、隣の人とおしゃべりをしてみた。

その後、青少年対策委員会のナンバー2 (子供は大学生、ピアノ教室の経営者)に、「今年は、PTA三役は全員が1年目で、大変なんですけれど」などと言ってみたら、「大丈夫ですよ」と言ってくれた。

すぐに、中学校の書記さんも「私たちがやりますから、安心してくださいね」などと、快く引き受けてくれた。

 

こんなに簡単に仕事が減って、嬉しくて、つい、Aさんに電話をしてしまった。Aさんは、うちの学校の副会長をしていて、「仕事を減らしましょう」などと、何度も言っていた。

Aさんに、「大変だなんて言ったの? そんなこと言っていいと思ってるの? 他の学校の人がどう思うか考えたことがある?」と言われて、いろんな言葉で罵られた。市役所の係長のことを言ったら、もっと怒られたかもしれない。

夫に「電話を切れ」と言われて電話を切った。


さすが、ピアノ教室の経営者。行動が早い。

青少年対策委員会の会議の日時を教えてもらえなくなったので、自然と排除された。

私の代わりに、Aさんが出席するようになった。ものすごく、ちやほやされたらしい。

 

私は青少年対策委員会から排除されたけれど、せっかくスポーツフェスタの企画書を書いたので、PTA三役と市役所に送った。
青少年対策委員会のスポーツフェスタは、金券を配っても、有名スポーツ選手を呼んでも、人の集まらないイベントだった。1番多い時で、380人しか集まらなかったらしい。

PTA役員、全員を強制参加させようとしていた。

(PTA役員36人+その子供36人)×6校=432人

そんなことをさせたくないから、企画書を書いてみた。

楽しそうな企画書だったので、参加したがるPTA役員が大勢いた。

1000人以上の人が集まって、楽しかったらしい。

企画書には、私の名前を書いたけれど、他のPTA役員にアドバイスのメールも送ったけれど、Aさんの手柄になったっぽい。

 

私は排除されたので、スポーツフェスタには行く気になれなくて、そのスポーツフェスタの日は、子供とIBMのイベントに参加した。

子供に「IBMのイベントのほうが楽しいに決まってるじゃん」と言われた。私もそう思う。IBMのイベントには感動した。

私ほど、子供と遊ぶことに詳しい人が滅多にいないようなので、そのスポーツフェスタの企画書は、市役所で、何年もいろんなところで使われた。

 

しばらくして、私の希望通り、PTA役員ではなく、中学生がこのイベントのお手伝いをすることになった。


青少年対策委員会から排除されてから、私にPTAの仕事を頼む人が減った。

うちの子供たちは、「お母さんよかったね」と言って喜んでいた。

 

PTA役員になってから、具体的に何があったのか、校長先生と市役所の職員に理解してもらえるように、しつこいくらい、詳しく報告書を書いて、校長先生と市役所に送った。


この後、私を真似る人が増えて、PTAの仕事がどんどん減って、PTAの楽な学校になった。

PTAの仕事がほとんどなくなったので、PTA会長もPTA役員も、すんなり決まるようになった。

先生が、PTA役員ではなく、保護者に仕事を頼むようになったので、学校に来る保護者が増えた。サークル活動も増えて、楽しい学校に生まれ変わった。

めでたし、めでたし。