PTAの仕事をみんながサボったら、PTAの仕事が減って、人間関係が良くなった。(実話)

PTAが、いきなり全員サボっても、学校には、先生、事務員、用務員、お年寄りのボランティア団体、自治会員、保護者、5・6年生など、仕事をやってくれる人はいくらでもいる。

いきなり、PTA三役が1人を除いて全員サボった。

その状況と結果を説明する。

 

1回目のPTA役員は、PTAのことをよく知らなかったので、いつの間にか、副会長になっていた。

美化委員やベルマーク委員になりたかったのに、負けてしまった。

最初の半年間は、家事と子供の教育を犠牲にして、バカみたいにPTAの仕事を引き受けた。

他の人に迷惑がかかるから、PTAの仕事を断れなかった。

半年後、PTAは学校や子供たちのためになることを、全然やっていないことに気がついた。

 

PTAの仕事を断るのは難しい。わざと汚いことを言ってみた。

歯槽膿漏で歯を失うかもしれないので、歯医者に行きます。

すみませんが、その日は出れません。」

軽度だけれど、わざとPTAの仕事のある日に歯石を取りに行った。

 

PTA会長は、1ヵ月100時間、PTAの仕事をしていた。

他の役員さん達も、かなり長時間、PTAの仕事をした。

たぶん、私が1番、少ないかもしれないけれど、疲れてきた。

ちゃんとした生活をしたくなったので、できるだけPTAの仕事を断るようにした。

 

私の真似をする人が増えた。

「下痢がひどくて、トイレから出れないので、イベントの手伝いは欠席します。」などというメールもあった。もっと、ひどいメールもあった。

あまりにも内容が汚かったので、校長先生が「欠席理由を聞いてはいけませんよ。」と、PTA会議で注意をしたらしい。

私はさぼったから、聞いていないけれど。

 

10月のある日、企業イベントの繰り上げ当選の電話が、いきなり、かかってきた。

何年も申し込んで、やっと当選したので、とっさに「行きます。」などと言ってしまった。

自分の子供を研究者か開発者にしたくて、子供たちと、科学館や大学や企業イベントに参加した。

PTAの仕事として、2週間後、警察イベントの手伝いに行くと約束をしたけれど、人数は半分以下でも大丈夫なので、私が欠席しても問題はないはず。

どう説明しても、「遊びに行くから、PTAの仕事を休みます。」という解釈をされる。

仕方がないので、仮病を使ってみた。

「母が入院して、その日は病院に行くことになったので、行けなくなりました。」

と、PTAの仕事を断ったら、子供を使って、家の状況をスパイされた。

うちの子供たちは、口が堅いので、しゃべらなかったけれど、

その友達は、スパイをしたことを恥じて、友達付き合いをやめてしまった。

スパイをした人たちは、うちの子供たちから、自然と離れて行った。

中学生の第一子まで、スパイされ、その友達は1番の親友だったので、私は悲しかった。

しかし、うちの子供たちは、けろっとしていた。

家に大勢、友達を呼んで、遊びに来ていたのに、うちの子供たちは、友達を呼ぶのをやめてしまった。

引っ越す前の学校では、友達を家に呼ぶのは普通のことだったけれど、この地域では、うち以外、友達を大勢、家に呼ぶ人は1人もいなかった。

このことは、報告書を書いて、市役所と校長先生に送った。

校長先生は、私の報告書を読んで、PTAの仕事を減らす必要があると分かってくれた。

 

「市役所、児童館、警察のイベントの手伝いをPTAにさせるのはやめてください。学生の体験学習にしてください。」などという文章を書いて、市役所の指導課に提出したら、

次の年から、ごっそりとイベントがなくなった。

市役所のイベントは、客があまり来ないイベントだったので、本当は、やめたかったのかもしれない。

 

「卒業式の受付を学校側でやってもらいたいなぁ」などと、

さりげなく校長先生に聞こえるように、しゃべってみたら、

先生と事務員が卒業式の受付をしてくれていた。

しかし、私はおバカさんなことに、すっかり校長先生にしゃべったことを忘れていた。

たまにはPTAの仕事をしようと、卒業式の受付係を引き受けた。

卒業式の受付に6人もいらなかった。先生、事務員、PTA役員4人は多すぎた。

先生1人で十分で、他の5人は、ぼけっと立っているだけ。

暇だったので、とりあえず、隣にいた事務員さんとおしゃべりをして時間をつぶした。

自分の子供の卒業式でなかったら、さっさと帰ったけれど、中途半端な時間だったので、帰らずに卒業式の開始時間になるまで、受付にいた。

他の3人のPTA役員は帰ってもいいのに、帰らずに、おしゃべりもせず、ぼけっとしていた。

自分で判断して行動するのは怖いことなのかもしれない。

 

 2回目のPTA役員はひどかった。

ミニスーパーのレジのパートを始めたばかりで、覚えることがたくさんあり、

「来年PTA役員をやります。今年は絶対に無理です。」と言って、

クラスの人たちと、来年、PTA役員をする約束をしていた。

パートを始めて1ヶ月後、知らないうちに、PTA三役にされていた。

 

「今年度の三役に決まりました。」という電話があったときは、めまいがしそうだった。

私に電話をしてきた人の声は、ビクビクしていた。

私に電話をかけてくるような人は、下っ端でパシリが多いので、あえて何も言わず、一言「分かりました。」と言って、引き受けた。

子供は第三子で、5年生、うちのクラスでPTA役員をやっていない人は7人もいるという恵まれた状況なのに、勝手にPTA三役にされてしまった。

第一子の時は、PTAの仕事が楽な学校で、PTAの役員を何年も続ける人が大勢いたので、PTA役員にはならなかった。つまり、子供が3人いるけれど、PTA役員は2回だけ。

 

とりあえず、1番最初のPTA会議に出席した。

1回目のPTA役員の時は、引っ越して来て、学校や地域のことをよく知らなかったので、最下位層扱いをされた。

その2年後、2回目のPTA役員の時は、ごっそりとPTAの仕事を減らしたのは、私だとバレていたので、女王様扱いをされた。

ちなみに、私の見た目は、喧嘩が弱そう。

 

書記が楽そうなので書記になったけれど、とんでもない仕事量だった。

「学校、担任、PTAの書記、PTAの広報が、それぞれ同じ内容のプリントを配っていて、書類が多すぎて、重要書類を見落としそうで迷惑です。」などという文章を書いて、校長先生に送ったら、

副校長先生が携帯メールを全校の保護者に送ることになり、自然と、担任、PTAの書記、PTAの広報がプリントを配るのをやめた。

夜7時頃まで先生たちは残業していたけれど、5時には職員室の電気が消えるようになった。

 

ちなみに、2回目のPTA役員は、1回しか出席をしなかった。(できなかった。)

私がPTAに出席しないと、迷惑がかかる人がいるかもしれないので、メールだけ、何回か送った。

「青少年対策委員会の人に、『掃除の人を6人出してください。』と、いきなり言われますが、『その日は会議があったと思います。』などと言って断ってください。」

「会長がやりたいだけで、〇〇は三役の仕事ではありません。」

 

しばらくして、三役は1人を除いて、PTAに参加をするのをやめた。

出席しているのは、副会長1人だけで、会長も含め12人は全員、PTAに出るのをやめた。

「PTAは必要ない」ということを証明してしまった。

 

学芸会の手伝いをしたい保護者が何人かいて、PTA役員ではなく、保護者が衣装を作っていた。

ものすごく楽しそうだった。

先生が仕事をPTAに頼むのではなく、直接、保護者に頼むようになったので、急に楽しい雰囲気の学校になった。

青少年対策委員会のイベントや掃除の手伝いは、中学生がやってくれるようになった。

校長先生に、たくさんサークルを作るように、みんなに勧めてくださいと、お願いをしてみたら、たくさんのサークルが作られた。

PTAに学校施設の利用を許可せず、サークルには許可することにしたら、自然とサークルがたくさん作られ、PTAの活動は減った。

サークルが保護者会や先生を利用して、保護者を支配しないように、校長先生に頼んでおいた。

 

うちのクラスに、私より、すごい人がいた。

学校行事には行くけれど、PTA役員になっても、保護者会やPTAに1回も行ったことがない人がいた。

PTAに参加しなかったら、子供が嫌がらせをされるのではないかという恐怖心があったけれど、むしろ、逆だった。

親同士が仲が悪くなると、子供同士、仲良くするのが難しくなる。

「〇〇ちゃんと仲良くして、〇〇ちゃんとは付き合わないで」と露骨に言わなくても、親の付き合いに子供が合わせてしまう子供もいる。特に、女の子。

あえて、親同士、付き合わないほうが、子供は自由に友達と仲良くなれる。

 

PTAは、仕事が減って、お茶会サークルになった。

次年度のPTA会長は、毎日、PTA会室でおしゃべりをしているらしい。

PTAの仕事が減ったので、何年もPTA会長を続けられるようになった。

 

楽しそう、私も仲間入りしたいと思ったら、子供は卒業間近だった。残念。